河北新報 GIGARETRO 年代別関連性分類。ドキュメント引用。日付別出来事。今日のできごと。過去のできごと。
2014930日版
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河北新報


河北新報(かほくしんぽう)は、仙台市に本社を持つ河北新報社が発行する日刊新聞で、一般に東北地方ブロック紙として扱われる[1]。販売部数(日本ABC協会調査)は朝刊約44万部、夕刊約8万部(2012年1月)[2]仙台都市圏ではセット版(夕刊)、他は統合版(朝刊だけ)。

目次

概要

一力健治郎らが経営難の「東北日報」を引き継ぎ、明治維新の際に薩長から「白一山百文」(白河の関(現・福島県白河市)より北は、山ひとつ100文の価値しか持たないの意)と蔑まれた東北の意地を見せるべく「河北」と改題して1897年明治30年)1月17日に創刊した(宮城県を流れる「北上川」の称ではない)。なお明治10年頃、在地の民権派が好んで広域的な「東北」という地名を各地の紙名に用いていたが、河北新報創刊の頃にはこの傾向は衰え、大正時代には河北新報以外に広域的な名称の新聞は東北地方から消えている[3]

東北6県で販売されており、特に地元・宮城県内での世帯普及率は70%に迫る高さである一方、宮城県以外の各県での世帯普及率は低い。そのため、全般的に宮城県の県紙としての性格が色濃いが、東北地方全体の政治経済および各地域の話題を俯瞰できるため、宮城県外では主に職場で読まれる傾向がある。なお、ごく初期には、東北地方諸藩からの開拓移民が多かった北海道でも販売されていたが、明治期に販売競争に敗れ撤退している。

現在のコーポレート・スローガンは「『東』は未来」。1993年平成5年)から使われている河北新報社のシンボルマークは、グラフィックデザイナーである永井一正の作品。

印刷は2003年(平成15年)より泉パークタウン(仙台市泉区)にある河北新報印刷センターで行っている。同センターは超高速タワー型オフセット輪転機を備えており、他紙の印刷業務も一部受託している。2011年(平成23年)秋からは朝日新聞の受託印刷を開始した。[4]また、2012年(平成24年)春からは読売新聞の受託印刷を開始する。[5]

2007年(平成19年)4月1日付より、朝刊1部売りの価格を110円から130円に値上げした。なお、月ぎめ価格(セット版3,925円、統合版3,007円)と夕刊1部売り価格(50円)は変わらない。

紙面

1997年(平成9年)には米の栽培と人間生活を扱った連載企画「オリザの環」で日本新聞協会賞を受賞。又、社会問題化していたスパイクタイヤを全廃に追い込んだのは、河北新報の記事が発端であった事は特筆すべき事項でもある。

東北地方に関する記事だけでなく、首都圏の知識人や文化人を独自に取材した記事を多く掲載している。

三大ブロック紙北海道新聞中日新聞西日本新聞)などとの記事の交換も行っている。また、近年では東北6県の他県紙(東奥日報岩手日報秋田魁新報山形新聞福島民報福島民友)との連携企画も増えている(東北電力が協力している場合は新潟日報も加わる)。

スポーツ関連では、東北楽天ゴールデンイーグルスベガルタ仙台仙台89ersをはじめとした仙台のスポーツに関連した記事を多く取り扱っている。場合によって(勝利試合など)はスポーツ面のみでなく1面や社会面、ローカル面でも話題が取り上げられることもある。また数ページを使用した特集記事も時折掲載される。

紙面の論調は、一般的な地方紙と同様に原則として革新側に軸足を置き(共同通信社からの配信記事が革新側の傾向が強いためその影響が反映されてしまうという事情もある)、東北の立場での主張を主軸としている。

ブロック紙としての性格

東北地方に販路と総局をもっており、「ブロック紙」とされているが、実際には本社を置く仙台市・宮城県からの視点で書かれた記事も多い[6]。宮城県以外の5県では、役所、職場等で購読されていたり、公立図書館や大学図書館で備え付けているところも多いが、各県内の地方紙の勢力が強く、河北新報のシェアは高くはない[7]

宮城県外向けとなる早版(13版、14版)の締切時刻は、国政選挙や統一地方選挙の翌日など特別な場合を除き、午後11時頃である。そのため、地方選挙の開票状況(最終確定票)が紙面に反映されないことが多い(統合版でもあるため、開票結果は翌々日の紙面に掲載されることになる)。選挙が行われた当該地域では、河北新報から配信された速報ファクスを販売店が独自にコピーして、開票翌日の新聞に折り込んで配ることが多い(コピー折込の判断はそれぞれの販売店が行うので、選挙が行われた地域でも折込配信されないことがある)。

沿革

4コママンガ

2012年(平成24年)2月1日より連載開始。北海道新聞中日新聞東京新聞北陸中日新聞日刊県民福井)、神戸新聞中国新聞徳島新聞愛媛新聞西日本新聞にも掲載。
2007年(平成19年)6月30日までは「あんずちゃん」(田中しょう)が、2007年(平成19年)7月1日より2012年(平成24年)1月31日まで「ちびまる子ちゃん」(さくらももこ)がそれぞれ連載されていた。
  • 夕刊 現在は掲載なし。
題字が縦書きだった2003年(平成15年)9月30日までは「ロボットけんちゃん」(藤井レオ)が掲載されていた。

テレビ・ラジオ欄(番組表)

(2011年10月現在の掲載順。特記のないものはフルサイズ)

掲載地域 第一テレビ面(最終面) 第二テレビ面(中面) 第三テレビ面(中面)
宮城版

NHK総合仙台放送局
NHK Eテレ(仙台放送局)
TBCテレビ
仙台放送
ミヤギテレビ
東日本放送
NHK BS1(ハーフサイズ)
NHK BSプレミアム(ハーフサイズ)
WOWOWプライム(ハーフサイズ)

宮城県版には第2・3テレビ面が存在しない
※県外テレビ局の番組表は載せていない。
宮城県外版

NHK総合(盛岡放送局
NHK Eテレ(盛岡放送局)
IBCテレビ
テレビ岩手
岩手めんこいテレビ
岩手朝日テレビ
TBCテレビ(ハーフサイズ)
仙台放送(ハーフサイズ)
ミヤギテレビ(ハーフサイズ)
東日本放送(ハーフサイズ)

NHK総合(福島放送局

福島テレビ
福島中央テレビ
福島放送
テレビユー福島
テレビユー山形
山形放送
山形テレビ
さくらんぼテレビ

NHK総合(青森放送局

秋田放送テレビ
秋田テレビ
秋田朝日放送
青森放送
ATV青森テレビ
青森朝日放送
NHK BS1(ハーフサイズ)
NHK BSプレミアム(ハーフサイズ)
WOWOWプライム(ハーフサイズ)

  • 2010年(平成22年)現在の番組表は、宮城版(宮城県内向け。地上波テレビ番組も県内のもののみ収録)と宮城県外版の二本建てとなっている。宮城県外版のNHKテレビ番組表は以下の取扱いとなっている。
    • 総合テレビ - 第一テレビ面で盛岡局、第二テレビ面で福島局、第三テレビ面で青森局の番組表を掲載。山形局のローカル番組は第二テレビ面で(山形別)の表記、秋田局のローカル番組は第三テレビ面で(秋田別)の表記がなされる。その関係から、第三テレビ面の総合テレビ番組表のみリモコンキーIDの表示が無い(青森局と秋田局でリモコンキーIDが異なるため)。
    • Eテレ - 第一テレビ面に盛岡局の番組表を掲載。福島局・山形局・青森局・秋田局のローカル番組が放送される時は、(○○別)の表記がなされる。
  • 1990年代中ごろから2003年(平成15年)までは、全域で第二・第三テレビ面がなく、県域面(後述)があったことから、宮城版、福島版、山形版、岩手版、青森・秋田版の区分で掲載されていた。2004年(平成16年)の紙面刷新(宮城版以外の県域面廃止)で、宮城版、南版(福島・山形)、北版(岩手・青森・秋田)に再編。2010年(平成22年)4月からは宮城を除く地域では6県分の番組表が掲載されるようになったが、宮城・岩手・山形・福島は最終面にハーフサイズでの掲載だった(中面の秋田、青森はフルサイズのまま)。2010年6月から現在の区分に変更された。
  • 山形県の民放局だけ開局順の配列になっていないが(最先発局は山形放送)これは、山形県の民放4局のうちテレビユー山形に対してのみ河北新報が出資をしていることが理由とされている。
  • 宮城県外版における「番組解説・見どころ」の放送局名表記は以下のようになっている。ただし、紹介された当該番組を放送しない局がある場合や、放送開始時刻が異なる場合はこの限りではない。

このように各局名を列挙しているのは、クロスネット局が存在していたり、番組販売などによる遅れネットが存在していた頃の名残といえる。

  • なお、岩手・宮城・福島県ではアナログ放送終了が2012年3月31日まで延期されたが、他の3県を含め朝刊にはアナログ放送のチャンネル番号は記載されなかった(1970年代前半ごろまでは主要中継局のチャンネル数字がテレビ局名の下に掲載されていた)。仙台都市圏で発行されている夕刊には、この前日の3月30日まで、アナログ放送のチャンネル番号(仙台本局)が記載されていた。
  • ラジオ・衛星デジタル放送面は全域で共通のフォーマットを使用し、東北六県全てのラジオ局とラジオNIKKEIを掲載。2011年(平成23年)10月からデジタル教育サブチャンネルはBSスカパーの下1/4サイズ程度を使って掲載するようになった。さらに2012年3月30日からはJ SPORTS1・2・3の番組表を1/2サイズで新たに掲載(これによりスターチャンネル1、BS11、TwellVは1/2サイズに縮小)。また、NHKラジオは仙台放送局の番組表となっている(NHKラジオ第一とNHK-FMの深夜放送休止は宮城県内のみフォロー。宮城県外でローカル番組が組まれる場合の注記は一切ない)。NHK-FMDate FM、TBCラジオは枠が1段分大きい。過去にはTBSラジオ文化放送ニッポン放送ラジオ日本の深夜番組枠が掲載されていた。

県域面

  • 2003年(平成15年)までは、各県ごとに県域面が存在していた(宮城版は日によって異なるが平均で4ページ、他県版は毎日1ページ(県によっては2ページの場合もあり)、あとのページは前日の夕刊の中面に差し替え。)。
  • 2004年(平成16年)の紙面刷新で、宮城版を除く県域面が廃止され「とうほく交流ワイド」面2ページが新設された(宮城版は「とうほく交流ワイド」面2ページに加えて、県域面「みやぎ」2ページ+「みやぎ地域ニュース」2ページの4ページが別途あり、宮城以外では前日の夕刊の中面に差し替え)。河北新報の発表データによると、2009年現在で宮城版以外の発行部数は約1.5万部と、全体の発行部数に比してごくわずかであり、各県ごとに紙面を差し替える余裕がなくなったためとみられる。
  • 2008年(平成20年)4月からは「とうほく交流ワイド」面が「ワイド東北」面に宮城版の圏域面「みやぎ」が「みやぎ総合」、「みやぎ地域ニュース」が「みやぎ街ひと話題」に名称変更された。

東北地方太平洋沖地震

  • 2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)により、南三陸町の志津川支局は津波で流され、石巻総局や気仙沼総局なども浸水の被害を受けた。
  • 本社ではCTSが転倒したため、新聞製作が困難になり、災害協定を結んでいた新潟日報社が地震発生を知らせる号外を作り、そのデータを河北新報社に送信して河北新報社の印刷所で印刷した。
  • 翌日12日付けの朝刊は河北新報の記事を回線を使い新潟日報社に送って紙面を作成、同様に河北新報社の印刷所で印刷し、被害の大きかった地域を除き宅配も行われた。この日の朝刊は8ページだが(通常は26ページ 番組表も宮城県のもののみを掲載し、テレビ・ラジオを1頁にまとめる特例版<宮城県外の局はラジオを含め割愛>となった)、写真を多数掲載し、宮城県および東北地方各地の被害を伝えた。これ以降は本社で全ての新聞製作が行われた。
  • 3月13日(日)には朝刊の他に午後に号外も配られた。12日、13日の新聞は一部の販売店で無料で配られた。
震災関係の記事は河北新報の特設ページに掲載されているほか、同社が全国向けに出版した震災記録写真集にも12-14日朝刊の一部が収録されている。
  • 東北地方太平洋沖地震発生(3月11日)から翌日(3月12日)の朝刊を刷り上げるまでの河北新報社内のドキュメントが、『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』という書物に纏められて出版された[8]
  • 震災一周年の2012年3月11日(宮城県内の亡くなった方)、12日(宮城県外の亡くなった方)で、東北地方太平洋沖地震で亡くなった15,854人すべての方の名前を載せた。

トラブル

  • 2013年1月22日21時30分頃、輪転機を冷やすモーターが故障した。この修理に約3時間を要した為、トラックで新聞を輸送する秋田県の全域と青森県及び岩手県福島県の一部で1月23日の朝刊(約1700部)が配達されない事態が発生した。

脚注

  1. ^ 『大辞泉』 小学館、1998年
  2. ^ 広告料金表
  3. ^ 新聞・雑誌名「東北」にみる明治期の東北地域観岩手大学教育学部研究年報第57巻第2号、1998年2月)
  4. ^ 朝日新聞を受託印刷(河北新報社)
  5. ^ 河北新報社が読売新聞の一部を受託印刷(河北新報社)
  6. ^ 広告も、全国共通のものをのぞくと宮城県内向けのものがほとんどである。
  7. ^ 岩手県で比較的多く読まれているほかは各県の購読数は数百部程度にとどまる。参考・河北折込センター
  8. ^ 河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙 文藝春秋社書籍ショールーム参照

関連項目

外部リンク

生年・年代別人物ナビ

09月30日の出来事

出来事
1908 メーテルリンク童話劇「青い鳥」初演(モスクワ)清で欽定憲法大綱発布(国会開設を公約)
1917 東京湾で「大正六年の大津波」と呼ばれる高潮水害が発生。東京の月島築地品川深川地区が浸水したほか、市川、船橋など千葉県の東京湾岸一帯に被害を及ぼす。横浜港で多数の船が転覆したほか、行徳の塩田も壊滅状態に。(関東大水害
1935 ジョージ・ガーシュウィン歌劇「ポーギーとベス」初演(ボストン和辻哲郎「風土 人間学的考察」
1937 陸軍士官学校座間に移転
1939 厚生省が「結婚十訓」を発表。「産めよ殖やせよ国のため」の標語を掲げる
1942 東京新聞創刊(都新聞國民新聞が合同)
1943 日本、御前会議にて「今後執るべき戦争指導の大綱」を決定。絶対国防圏設定。
1945 七尾市で支那人400名が警察署を襲撃
1948 昭和電工事件栗栖赳夫経済安定本部長官逮捕
1959 ソ連フルシチョフ首相が中国北京を訪問。毛沢東と会談するが共同声明は出されず、中ソの対立が表面化する。
1962 トヨタ自動車、「クラウン」をモデルチェンジ。
1964 常陸宮正仁親王・華子妃御結婚。
阪神、2年ぶりのセ・リーグ優勝。9月16日から9連勝し、ペナントレース最終日に優勝を決める。
1965 インドネシアクーデター未遂(9月30日事件)。
1966 ボツワナ独立。
1967 大阪市営地下鉄中央線谷町四丁目駅-森ノ宮駅間が開業(1969年12月、大阪港駅-深江橋駅間が貫通)。
1970 大塚製薬の創業者・大塚武三郎が死去。
1975 天皇が史上初めてアメリカ合衆国を公式訪問。( -10月14日
明治製菓が「きのこの山」を発売(姉妹品の「たけのこの里」は1979年に発売)。
1978 京都市電廃止。
1981 第24回夏季五輪1988年)の開催地がソウルに決定。名古屋市は招致に失敗。
アジア共石が共同石油グループから離脱し、大協石油に経営権譲渡(1989年10月、コスモ石油と合併)。
1985 埼京線大宮赤羽間が新規開業(戸籍上は東北本線)と川越線が電化開業。この時点で、池袋〜赤羽間の赤羽線が埼京線へ編入のため事実上消滅(戸籍上は現在も残る)。
アークヒルズ内に建設されていたテレビ朝日の新放送センターが完成(名称はアーク放送センター、10月5日から使用開始。本社機能は翌年4月に移転)。
1990 ソ連と韓国が国交樹立。
エキスポタワー閉鎖、展望塔としての役割を終える。
1992 高エネルギー物理学研究所森田洋平博士が日本最初のホームページ(KEK Information) を公開する- この月の有効求人倍率が1.0を下回り、この後、2005年12月に1.0に回復するまで13年2ヶ月にわたりいわゆる就職氷河期となる。
1995 ヤクルト神宮球場巨人戦に勝ち、2年ぶりセ・リーグ優勝。
1996 兵庫県南部地震により倒壊する被害を受けた阪神高速3号神戸線が全面復旧。
1997 JR信越本線横川駅-軽井沢駅間が廃止。-PHSの契約者数がピークを迎える。以降携帯電話との競争激化により、契約者数は2000年代中頃まで減少傾向。
1998 岐阜ホステス殺害事件で指名手配されていた犯人が14年に及ぶ逃亡の末、逮捕される。
1999 東海村JCO臨界事故発生。茨城県東海村にあるJCOの核燃料加工施設で日本初の臨界事故。2人死亡。
中日ドラゴンズ1988年以来11年ぶりとなるセ・リーグ優勝を決める。9月 -神奈川県警の不祥事が相次いで発覚、全国の警察に波及。
2000 DDIセルラーグループ日本移動通信、TACS方式携帯電話のサービスを終了。これにより第一世代(アナログ)携帯電話は日本からすべて消滅。
2003 ダイエーが3年ぶりパ・リーグ優勝。
スズキが「ワゴンR」をモデルチェンジ(10月8日には「AZ-ワゴン」がモデルチェンジ)。9月 -ボリビアガス紛争が激化。暴動と道路封鎖によりボリビア国内は広範囲に渡って麻痺状態になる。
2004 アメリカ海軍の巡洋艦で世界初のイージス艦である、タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の1番艦タイコンデロガ (ミサイル巡洋艦)が退役。
2006 日本エアコミューターで運航されていた国産旅客機YS-11が沖永良部-鹿児島間の臨時便の運行をもって、国内エアラインから退役。これにより、官公庁を除く日本国内のエアラインで運航されていたYS-11が全機退役となった。
2009 南太平洋サモア近海でマグニチュード(M)8.3の巨大地震が発生。津波による被害も[128][129]。インドネシアスマトラ島沖でマグニチュード(M)7.6の大地震が発生[130][131]。

09月30日生まれ

生誕
1905 ネヴィル・モット、物理学者(+1996年
1908 ダヴィッド・オイストラフヴァイオリニスト(+1974年
1913 サミュエル・アイレンベルグ、数学者(+1998年
ロバート・ニスベット社会学者歴史家(+1996年
1914 野上清光、プロ野球選手(+1991年
1921 デボラ・カー、女優(+2007年
並木路子歌手(+2001年
1923 隆慶一郎、脚本家・小説家(+1989年
1924 トルーマン・カポーティ、小説家(+1984年
1925 星野哲郎作詞家(+2010年
1927 石橋エータロー、ピアニスト・タレント(+1994年
1930 大山克巳、俳優(+2012年
1932 石原慎太郎、小説家・元衆院議員・東京都知事
五木寛之小説家
1933 小野正一、元プロ野球選手(+2003年
1934 西本鶏介作家
山本義司、元プロ野球選手(+2004年
1941 レイネ・ウィセル、元F1ドライバー
1947 加藤千洋ジャーナリスト
瀬尾一三音楽プロデューサー
1949 デヴィッド・マギリヴレイ、フィギュアスケート選手
1950 内田樹、フランス文学者
1951 竜真知子作詞家
バリー・マーシャル、オーストラリアの医師
1952 ジャック・ワイルド、イギリスの俳優(+2006年
1953 ダン・ゴンザレス、元プロ野球選手
ジェームス・ピータース、元プロ野球選手
1956 土屋敏男、テレビプロデューサー
1957 高口里純漫画家
1960 工藤幹夫、元プロ野球選手
1962 田中経一演出家テレビディレクター
フランク・ライカールト、元サッカー選手、サッカー指導者
1964 石井章夫、元野球選手
ダグ・ジェニングス(登録名D・J)、元プロ野球選手
トニーヒロタ、ものまねタレント
1966 東山紀之、歌手、タレント(少年隊)
1967 斉藤こず恵、タレント
ヨーキス・ペレス、元プロ野球選手
1969 竹谷とし子、政治家・公認会計士
1970 森下雅子ファッションモデル
1971 前間卓、元プロ野球選手
1974 田崎昌弘、元プロ野球選手
丹波幹雄、元プロ野球選手
1975 カルロス・ギーエン、メジャーリーガー
須賀響子、歌手
濱村進、政治家
1978 菅沼久義、声優
1979 コザック前田、ミュージシャン(ガガガSP
アンディ・ファン・デル・メイデ、元サッカー選手
南雄太、サッカー選手
1980 小笠原亜里沙女優
マルチナ・ヒンギステニス選手
シュテファン・リンデマンフィギュアスケート選手
1981 河野由佳、女優
1983 潮田玲子、女子バドミントン選手
加賀健一、サッカー選手
1984 中谷翼、プロ野球選手不明 -多田紗耶子福島テレビアナウンサー
1985 榎並大二郎フジテレビアナウンサー
T-ペイン、歌手
深水章生、サッカー選手
松田理奈、バイオリニスト
クリスティアン・ロドリゲス、サッカー選手
1986 岡田めぐみ、元女優
西島隆弘、歌手・俳優・ダンサー(AAA
オリヴィエ・ジルー、サッカー選手
1989 上堂薗恭子、タレント
1990 梶浦愛子、グラビアアイドル
ドミニク・エガーター、レーサー
アルシノ・ゴメス・ダ・シウヴァ、カヌー競技選手
1991 山田絵里奈、ファッションモデル
1992 西脇彩華9nine、ファッションモデル
石川慧、サッカー選手
1993 橘花梨、女優
1994 アリーヤ・ムスタフィナ、体操選手
1995 髙畑翼、俳優
1996 西森なみ、アイドル

09月30日死没

死没
1900 和泉要助、発明家(*1829年
1913 ルドルフ・ディーゼル、発明家(*1858年
1932 エミール・ヴァン・エルメンゲム細菌学者(*1851年
1933 沖ツ海福雄大相撲力士関脇(*1910年
1943 フランツ・オッペンハイマー社会学者・政治経済学者(*1864年
1946 酒井隆、日本陸軍の中将(*1887年
1947 四代目柳家小さん、落語家
1953 ルイス・フライ・リチャードソン数学者気象学者(*1881年
1955 ジェームズ・ディーン、俳優(*1931年
マイケル・チェーホフ、俳優(*1891年
1970 岡田刀水士詩人(*1902年
1974 宮川哲夫作詞家(*1922年
5代目柳家つばめ、落語家(*1928年
1978 山岡荘八、小説家(*1907年
1979 椎名悦三郎、政治家(*1898年
伊藤一葉マジシャン(*1934年
1985 シモーヌ・シニョレ、女優(*1921年
チャールズ・リヒター地震学者(*1900年
ヘルベルト・バイヤー画家デザイナー写真家(*1900年)
1986 横山美智子、小説家(*1895年
1996 内田朝雄、俳優(*1920年
1997 藤田信雄日本海軍軍人、史上唯一アメリカ本土空襲を実施(*1911年
1998 ブルーノ・ムナーリ美術家(*1907年)
2000 ハワード・ウィンストン、プロボクサー(*1939年
2003 ロバート・カーダシアン弁護士(*1944年